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zoom RSS G7広島宣言「誤訳」問題の背景−−日本政府が語る核の「非人道性」の虚と実

<<   作成日時 : 2016/04/17 00:12   >>

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 G7外相広島宣言で「人間の苦しみ」を指す「human suffering」が「非人間的な苦難」というふうに誤って訳された問題については、先のブログ投稿に多くの反応をいただきました。ありがとうございます。メディアでもいろいろと報道され(朝日新聞東京新聞Japan Times)、外務省も釈明をしているようです。ただこの釈明(4月13日の外務報道官の会見)をみても、政府は事実上「意訳」したことを認めて、開き直っているようにみえます。
 ここで、日本政府が核兵器の「非人道性」という言葉を使うようになってきた経過を振り返ってみたいと思います。実は、先の私の投稿にちょっと正確でないところがありました(政府がいつから「非人道」という言葉を使うようになったのかをめぐって)。その点の訂正も含めて、経過を追い、解説します。

【1】日本は核兵器の人道上の結末に関する共同声明を最初は拒否、途中から参加した
 2012年5月にスイスなど16カ国は、「核兵器の人道上の側面」と題する共同声明を初めて核不拡散条約(NPT)準備委員会で発表しました。これは、その2年前のNPT再検討会議の最終文書で、核兵器の使用がもたらす「壊滅的な人道上の結末」への憂慮が表明されたことを受けたもので、核兵器の問題を人道上の観点から議論していくことが重要であると投げかけたものでした。
 日本政府はこの共同声明に参加しませんでした。しかし共同声明への支持は広がり、第2回(2012年10月)が35カ国、第3回(2013年4月)に80カ国と参加国は増えていきました。それでも日本政府は参加しませんでした。理由は、この声明が核兵器の「非合法化」に言及していることや、「いかなる状況においても」核兵器が使用されるべきでないという表現が米国の核抑止力に依存する「我が国の安全保障政策と合致しない」というものでした。
 しかしこのような態度は被爆国日本としてあるまじきことであるとして、国内外から批判が起きました。2013年4月には、NPT準備委員会に世界中から集まったNGOがジュネーブの日本大使館前で抗議活動を行いました(上の写真は、そのときのもの)。広島・長崎の両市長は8月の平和宣言で、共同声明に参加しない日本政府を批判しました。
 こうした批判を受け、広島選出の岸田文雄外相は第4回の共同声明(2013年10月、125カ国が参加)に初めて参加しました。このとき日本政府は、外交交渉により共同声明の文面を少し"和らげる"修正をさせ、日本が核兵器を非人道兵器として禁止していくようなやり方に必ずしも賛成しているものではないという説明をしました。(この経過については、拙著『核兵器を禁止する』(岩波ブックレット、2014)に詳しく書いてあります。)

【2】被爆者の批判を受け、岸田外相は「人道性」を「非人道性」と言い換えた
 2014年1月、岸田外相は長崎大学で核軍縮・不拡散政策に関するスピーチを行いました。このとき外相はおそらく、核軍縮に向けて力強いアピールを発したつもりでいたはずです。たしかにそのスピーチの中には、それまでの日本政府の政策に比べると少し進んだ内容が含まれていました。
 ところが岸田外相は、会場にいた被爆者を含む参加者から厳しい反応を受けました。例えば、核兵器の役割を限定し、核兵器の使用は自衛の極限的状況に限定するよう核保有国に求めると外相は述べました。これに対して被爆者らは、自衛のためなら核兵器を使っていいというのかと反発しました。外務省ウェブサイト上に掲載されている外相演説のP.22に、その記録が残されています。(このときの議論については、本ブログの当時の記事をご参照。)
 また、岸田外相が「核兵器の人道性」という表現を使ったことに対しても会場から反発が出ました。それを受け、外相演説の公式な記録としては「非人道性」という表現に修正されました(ウェブサイトに出ている外相演説のP.8参照)。
 先の投稿でも触れたように、「核兵器の人道性」という表現に被爆者が反発するのは無理からぬことです。しかし政府・外相も、核兵器が「人道的で良いもの」であるという意味でこの言葉を使ったわけではないはずです。国際的には、核兵器の「人道上の側面(humanitarian aspect)」を議論しようという動きが進んでいる。そのことを核兵器の「人道性」と表現したわけであって、決して核兵器が「人道的で良いもの」であるという意味で言ったわけではないでしょう。そこには、言った側と聞いた側のすれ違いがありました。しかし広島出身の岸田外相は、この一件を受け、被爆者のこれ以上の反発を受けることを避けようと考えたのでしょう。誤解のないようにという意味で、以後「非」を付けるようになったのだと思われます。以降、外務省は、核兵器の「humanitarian consequences」を「人道的結末」ではなく「非人道的結末」と訳すようになりました。
 (先の投稿では、2013年10月から訳語に「非」を付けるようになったと書きましたが、正確には、このとき、すなわち2014年1月からのようです。)

【3】「人道性について語ること」と「非人道的であると断ずること」はイコールではない

 核兵器の「人道上の側面」や「人道上の影響」について考えることと、核兵器が非人道的であるから禁止・廃絶しようということは、必ずしもイコールではありません。実際、2013年3月に「核兵器の人道上の影響に関する国際会議」を最初に始めたノルウェー政府は、これは政治的・法的議論をする場ではなくて、核兵器が人道上どのような影響をもたらすのかについて科学的データに基づいて客観的に検証する場であると強調していました。この基本姿勢はその後の同会議でも継承されました。核保有国である米国と英国は2014年12月のウィーン会議に参加しましたが、彼らの論理は、核兵器の人道性に関する議論に参加したからといって、核兵器が「非人道的」であるとまで必ずしも断ずるものではないというものでした。
 実際、オバマ大統領は2013年6月にベルリンで米国の新しい核政策について演説しましたが、このときに発表された米国の核戦略では、米国の核使用戦略は武力紛争法の原則に合致すると述べています。すなわちそれは、国際人道法に合致しているという意味です。これらのことを総合すれば、米国政府の立場は次のようなものであるといえます。米国は一定の条件下で核兵器を使用するが、核兵器の人道上の影響については米国は気にしており、米国の核使用は国際人道法と矛盾するものではない−−。
 国際人道法に矛盾しない形で核兵器を使用するなどということが本当に可能なのか?不思議に思うかもしれません。しかし、理屈はさまざまつけられるわけです。日本政府ですらその公式見解は、核兵器の使用は「人道主義の精神に反するが、国際人道法に違反するとまではいえない」というものです。さらには核兵器と憲法9条の関係について、「自衛のための必要最小限度の核兵器」は理論上ありうるという(驚くべき!)憲法解釈までとっているわけです。

【4】言葉を言い繕ってほしいのではない、行動をしてほしいのだ
 以上のようにみてくると、「人道性」「非人道性」をめぐる議論と日本政府の行動は、次のように整理できます。
 @そもそも日本政府は、核兵器の「人道性」に関する議論を嫌っていた。
 Aそれは、核兵器を非人道兵器として禁止する議論につながるものだから、それは日本にとって困ることだと考えてきた。
 Bしかし、このような姿勢に対する被爆者や国内外の世論の批判を受け、「人道性」の議論に加わるようになった。
 Cさらに、単に「人道性」の議論に加わるだけでなく、やはり被爆者らの強い声を受け、核兵器は「非人道的」だという表現を用いるようになった。
 このように考えると、被爆者や市民が政府に対して声を上げることには意味があるということが分かります。同時に上記のBCは広島選出の岸田外相であったからこそ起きた現象であったとも考えられます。被爆地の世論というものをさして気にしない他の政治家が外相であったなら、日本の政策は@A止まりであったかもしれません。
 さて、今回の問題であるG7広島宣言の誤訳問題は、このような流れの延長線上にあったといえます。米国を含む7カ国外相が原爆投下が「人間の苦しみ」をもたらしたと認めたことには、一定の意味がありました。しかしそれは、原爆投下が「非人間的」であるとか「非人道的」であるとか、道徳的に悪であるとか、忌避され法的に禁じられるべきものであるといった、そのようなニュアンスは無い表現でした。それにもかかわらず、日本政府は強引に「非人間的な苦難」という、原語からかけ離れた訳語を用いて、被爆地をはじめとする国内世論に向けてあたかも「核保有国に核兵器の非人道性を認めさせた」かのような芝居を打とうとしたのです。しかしそれは、かなり安っぽい芝居として底が割れました。
 先の外務報道官の釈明を読むと、「たしかに意訳したが、核廃絶へのメッセージ性を重視したんだから、いいじゃないかそれで」と言っているように読めます。しかし、私たちが日本政府に求めるものは何でしょうか。私たちは、言葉を言い繕ってほしいのではなく、核兵器廃絶のための真の行動をしてもらいたいのです。違いますか?
 結局のところこの問題は、核兵器の悲惨さを語りながらも自らが核兵器に依存する安全保障政策をとっている日本の二重性に起因しています。核兵器が非人道的だと思うなら、自らがそのような兵器に依存しているその政策を改め、核兵器によらない安全保障の確立に向けて行動すべきあり、そのことを通じて世界的な核兵器の禁止に貢献すべきです。ありもしない言質を核保有国から勝ち取ったかのように国内向けに嘘の広報をしていても、何も始まりません。
 核兵器が「非人間的」とか「非人道的」と思うなら、それから脱却する行動をとること。それが日本の課題です。

2016.4.17
川崎哲

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2016/04/17 00:28

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