オバマ大統領の広島訪問から私たちは何を引き継ぐのか

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 オバマ大統領が広島を訪問した。1945年の原爆投下を正当化する世論が依然根強い米国の大統領が、さまざまな批判のリスクをかえりみずに被爆地を訪問した勇気は、賞賛に値する。核兵器を使用した国の指導者が、それが人間にもたらした結末に向き合う姿勢を自らの体をもって示したことは、世界における核兵器に対する認識を変える上での重要な転換点となりうる。この訪問を実現に至らしめた被爆者の皆さんの長年の労苦、声を上げてきた市民とそれを伝えたメディア、そして広島・長崎の市長ならびに行政、日米両政府当局の各方面における尽力にまずもって敬意を表したい。
 被爆者との対話や資料館の見学がきわめて限定的であったことなど、今回の訪問に関してさまざまな限界は指摘できる。しかしオバマ氏が、将来に道を開く重たい扉を押し開けたことは間違いない。問題は、この一歩が今後どう引き継がれるかである。それは、今後の米国や日本の政治指導者・政府の問題でもあるが、私たち自身の課題でもある。

ヒロシマ・ナガサキは「日本の被害」ではない
 オバマ氏の平和記念公園での演説の特徴は、ヒロシマ・ナガサキを広く人類の戦争の歴史の中でとらえたことだ。元来ヒロシマ・ナガサキは、世界に対して「核兵器廃絶」と「世界恒久平和」という二つのメッセージを発してきた。被爆者の話を聞いた子どもたちの感想文の中には「原爆が使われてはいけないと思いました」とともに「戦争はくり返してはいけないと思いました」というの二つの言葉が多く記される。核をなくすことと戦争をなくすこと、どちらも大切だがそれぞれに困難な大命題である。
 オバマ氏は今回、戦争が人間にもたらす残虐な結末や戦争を防ぐことの必要性について、人類という大きな視点から語った。そして広島・長崎では日本人だけが被害を受けたのではなく、朝鮮人や米兵たちも犠牲になったことについて明確に語った。これは日本の私たちが受け止めるべき重要なメッセージである。ヒロシマ・ナガサキは、日本人の苦しみの話ではなく、世界規模の人類史的な苦難の経験なのである。
 だが残念なことに今日の国際関係では、日本政府が原爆被害について語るとアジアの隣国が日本の被害のみを強調するなと反発することが現実の問題として起きている。これに対して単純に「日本こそが被害者だ」と対応することは誤りである。オバマ氏の広島での演説と振る舞いは、戦争で敵対しあった者同士が和解しうるということを示している。私たちはそれを受け止め、さらに発展させる道を考えたい。日本政府は世界の政治指導者の被爆地訪問を呼びかけているが、次は、中国の国家主席が広島や長崎で平和について語ることを実現すべきだろう。ヒロシマ・ナガサキは、苦難を受けた人間たちが中心にいることによって、敵・味方を分けようとする国家の物語をこえる力を持っている。

核兵器廃絶には具体性なし
 オバマ氏は戦争と人間、和解と平和について多くを語った反面、核兵器の廃絶に関してはほとんど何も具体策は語らなかった。2009年の就任当初のプラハ演説で打ち出した「核兵器のない世界」をめざすという決意を再確認したが、「私が生きているうちにはできないかもしれない」という逃げ口上もくり返した。核兵器廃絶のためには空疎な演説であったといわざるをえない。
 戦争に反対すること(反戦)と核兵器に反対すること(反核)は、日本の私たちにとっては渾然一体のものかもしれないが、実はかなり位相の異なる問題である。世界のさまざまな紛争地では、反戦と反核は相矛盾する課題としてとらえられることもある。核兵器は多くの場合、紛争が続き平和でないがゆえにその存在が正当化される。平和がまだ達成されていないのだから核を手放すことはできないというのが、核保有国や核依存国の常套句だ。平和の見通しがついたら核を減らしてもいい。つまり平和が先で、核軍縮はその後だというわけだ。
 逆に核兵器を禁止・廃絶しようという運動は、仮に戦争が完全になくせなかったとしても、通常兵器による戦争が防げなかったとしても、核兵器という兵器は特別であり許されないと主張する。大量破壊兵器と称される生物・化学兵器や、対人地雷やクラスター爆弾が国際条約によって禁止されてきたのは、これらの兵器が他の兵器一般とは特に区別すべき理由があるからだ。核兵器は、その破壊力、無差別性、放射線影響の深刻さ、さらには地球規模の環境や経済社会への影響の甚大さから、他の兵器と比べものにならない最悪の非人道兵器である。それなのにいまだ国際法で禁止されていない。
 通常の市民感覚でいえば、戦争じたいが非人道的ともいえる。第二次世界大戦が各地でもたらした被害は、そのすべてが悲惨であった。それでもなお、米国による原爆の投下は他の軍事行動とは明確に区別されるべき犯罪行為であり、人道に対する罪であった。オバマ氏がヒロシマ・ナガサキを人類の戦争全体の中で語ったことは、核兵器のもつ特殊性や米国が行った行為の犯罪性を曖昧にし、戦争一般の中に溶け込ませる危険性があることを指摘しておかなければならない。

勇気をもって核兵器禁止条約に参加せよ
 国際社会では今日、核兵器を非人道兵器として禁止する新たな「核兵器禁止条約」を作ろうという運動がかつてない高まりを見せている。オバマ大統領がプラハ演説で核兵器廃絶の機運を起こして以来、赤十字が核兵器を非人道的と断ずる声明を出し、スイスやノルウェーが核兵器の非人道性に関する共同声明を広げ、メキシコやオーストリアが核兵器の人道上の影響に関する国際会議を開いた。こうして核兵器の非人道性は国際的な課題として確立し、今年2月からは核兵器の禁止に向けた国連作業部会が始まった。5月前半に開かれた作業部会では、過半数の国が核兵器禁止条約の交渉開始を求め、来年に条約交渉会議を開催するという提案も支持を集めている。作業部会による8月の勧告を経て、10月の国連総会で禁止条約の交渉開始決議が採択される可能性は十分にある。
 この作業部会の動きに対し、米国をはじめとする全核保有国はボイコットしている。日本は、北大西洋条約機構(NATO)など他の「核の傘」の下の国々と一緒になって、禁止条約交渉開始に反対する論陣を張っている。いわく「国家の安全保障も大切」、「核兵器国を巻き込まなければ意味がない」、ゆえに禁止条約交渉の開始には反対だというのだ。
 米国と日本の指導者が広島で、核兵器がもたらした罪なき人々の犠牲や残虐な結末について語るのであれば、なぜその核兵器を今でも発射できる態勢を維持し、そのような兵器に頼った安全保障政策を続けているのか。米大統領が核攻撃の指令を出せる機密装置のカバン「核のフットボール」は、オバマ氏と共に原爆慰霊碑の前に持ち込まれた。何という皮肉か。原爆の犠牲者をこれほどまでに傷つける行為があるだろうか。
 米国と日本が「核兵器のない世界」を希求すると語るのであれば、なぜ今ここにある核兵器禁止条約の提案に向き合わないのか。米国は作業部会の議論に参加すべきであるし、日本は禁止条約の交渉に参加すべきである。オバマ氏は核兵器のない世界を追求する「勇気」について語ったが、こうした政策転換をする勇気こそが求められている。

「同盟」ではなく、普遍的な平和こそ
 オバマ氏がヒロシマ・ナガサキを人類の観点から語ったのとは対照的に、これに続く安倍首相は「日米同盟」をことさらに強調する演説を行った。いわく「日米同盟は世界に希望を生み出す同盟でなければならない」と。しかし、原爆慰霊碑と原爆ドームを背景に語られるこのような「同盟」論に、私は強い違和感を覚えた。
 既に述べたように、ヒロシマ・ナガサキは、戦争の行き着く先を世界に示したのであり、世界恒久平和へのメッセージを発してきた。原爆で被害を受けた人々は、国民という単位ではなく、人間の尊厳と人類の生存の問題として自らの苦しい体験を振り絞るように語ってきた。その広島でオバマ氏は、戦争の残酷さと外交を通じて戦争を防ぐことの重要性を語った。それは、日本国憲法9条の精神に根底で通じている。そもそも9条の平和主義は、原爆がもたらした壊滅によって戦争の本質を学んだ日本国民が、二度と過ちをくり返してはならないと今日まで維持してきたものである。
 その反面、今日の日本では、そのような平和主義をナイーブなものと見下す風潮が強まっていることも事実だ。そうした中でオバマ氏が今回広島で発した言葉の中から、私たちはヒロシマ・ナガサキのもつ狭い国益をこえた普遍的な平和という視点を再認識すべきだろう。
 「同盟」とは基本的に敵・味方を区別する枠組みであり、ヒロシマ・ナガサキのメッセージとは対極にある概念だ。安倍首相は「強固な日米同盟」をアピールするためにヒロシマを利用しようとしたのだと思われる。それが国民に広く受容されるような形で「成功」したと私は思わないが、これはヒロシマの悪用だ。同盟の名の下で「希望」どころか日々犠牲を強いられている沖縄にしてみれば、さらに悪意ある茶番にしか見えないだろう。

評論をこえて-私たちが行動する番だ

 オバマ大統領の広島訪問は日本国内はもちろん世界的にも、大きな高揚感をもって受け止められた。それは、戦争で被害を受けた一般市民である被爆者の声と行動が国際政治に影響を与えうることを示したからだろう。だが同時にこのショーは、人々の間に多くの不満や悔しさ、怒りも生んだ。それは、そうした人々の思いを矮小化してからめとるさまざまな装置や仕掛けが、日米両政府によって仕組まれていたからである。
 私自身は平和運動家として、評論することよりも行動することに重きをおく立場だ。オバマ氏が作ったこの大きな一歩を引き継ぎ発展させつつ、その欺瞞を反転させるような活動をしていくことが課題だと考える。一つには、被爆者が若者と共に世界を周り、国境や世代を超えて核の被害の実相を語っていく取り組みをさらに広げていくこと。もう一つには、実現がまさに手の届くところまで来ている核兵器禁止条約の早期制定に向けて、国際世論を喚起し続けていくこと。国際NGO活動にたずさわる強みを生かして、これらのことにさらに取り組んでいきたいと考えている。
 今回のオバマ氏広島訪問を通じて関心を持ちまた心を動かされた方も多いと思う。そうした方々には、ぜひとも核兵器廃絶と平和を求めるためのNGO活動に積極的な参加と支援をしていただきたいと願う。

2016年5月29日
川崎哲


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この記事へのコメント

広島3歳被爆 上田紘治
2016年05月29日 22:37
当日、NHKには2時から4時間余拘束されて10秒くらい、私のコメントが首都圏ニュースの時間帯に流れました。被爆地訪問は歴史的な出来事、しかし、10分くらいの資料館滞在で被爆の実相は分からない。メッセージには核兵器廃絶・使用禁止に具体性が無く、プラハ発言の二の舞ではいけない、今後を注目したいと述べた。2・5月回開かれた国連作業部会に次回、8月には、参加してこそ言動が一致する。日本政府も核保有国の代弁者で段階論では恥ずかしい。結局、市民の運動が決めて。核兵器使用禁止条約がいよいよ現実のものとなり始は限りなく尊敬しています。

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